episode 03:

飛鳥了の場合

十年も前のことなのに昨日のことのようだ。

俺の顔に痣がある。なんだこれは。何かの模様のように見える。何かの記号のように見える。不思議だ。こんなひどい痣があるのに心は異常なほど静かだった。指のあいだに樹液のようなべったりしたものがある。なんだこれは。俺は勝ったのか。俺は奴らに飲み込まれなかったのか。拳を握る。力があふれる。壁を拳の裏で撃つ。バコンとコンクリの壁に穴があいた。俺は勝った。力を手に入れた。そうだ。俺は一か八かの賭けに打ち勝ったのだ。俺は机のうえの手紙をもちあげた。そして燃えろと念じた。手紙は簡単に燃えた。手のひらは炎の熱をまるで感じなかった。炎は意のままに大きくなった。そして意のまま消えた。手紙は妻にあてた遺書だった。

『もし俺が帰って来なかったら、もし俺が悪魔に魂を乗っ取られてしまったら、ここにあるケネトスの岩をかぶり、そして心を開き、本当の世界を見て欲しい。悪魔は人間の妄想ではない。現実に存在している。彼らは長い眠りから目を覚ましてこの世界を奪おうとしている。ケネトスの岩は悪魔の記憶をお前に見せるだろう。元はこの地球は悪魔たちのものだったのだ。悪魔の眠りのあいだに人間はあまりに急速に繁殖した。そして眠ったままの悪魔は地下深くに封じこめられた。それは偶然の出来事だった。そして怒りとともに目を覚ましたその悪魔どもはふたたび地上世界を支配するために人間を襲いはじめた。奴らは人間の心を襲い人間と同化する。人間の体を乗っ取るのだ。弱い心を入口にして悪魔はこの世界にやってくる。だから俺は考えた。悪魔の力と人間の心。弱さに近づく悪魔を体に宿し、心の強さでその力を封じ込める。そうしてこれから始まる悪魔たちと戦う力を手に入れるのだ。もし俺が悪魔になりさがったら、俺の心がそれに耐えられないほどの弱さしかなかったらその時はためらうことなく殺して欲しい。そこに俺の心は残っていない。ただの肉体だ。決して隙を見せることのないように』

悪魔の儀式は簡単な魔法陣といくつかの薬剤でできた。薄れて行く意識のなかで俺はこの身を悪魔に捧げるふりをした。夜中の2時。魔法陣の中心に横たわり静かに目を閉じる。数時間も過ぎた頃、悪魔たちの気配を背中に感じた。床のかなり下のほうにうごめくものを感じた。いくつかの気配が争っているようだった。まるでひとつの肉片を前に威嚇しあう獣のようだった。そのなかのひとつの気配が急に背中を突き刺した。遠のく意識を俺は必死にたぐりよせた。これを離したら俺は悪魔に体を渡すことになる。渡してたまるか。渡してたまるか。その格闘は朝まで続いた。朦朧とする意識のなかで朝の光は俺に最後の力を与えた。悪魔は俺の体のなかで動かなくなった。勝った。俺は自分を確かめたくて鏡を見た。俺の顔には大きな痣があった。悪魔の力を手に入れた。これからやってくる悪魔との戦いに人間が勝つための唯一の希望だ。心を落ち着けるとその痣は嘘のように消えた。

「それから偶然同じ力を持つ人間を俺は見つけた。その痣は力の印だ。」
「わたしに悪魔の力がある?」

そう小さな声で聞くこの小学生の女の子にどれだけ理解できたかはわからない。彼女はずっと無表情だった。無理もないあんな事件の直後だ。

「君には悪魔の力がある。どうしてそれを身につけたのかはわからない」

彼女は遠くを見ていた。

「俺の顔を見ろ」

俺は目を閉じて心のなかの怒りを呼び起こした。目を開けると彼女の目が丸く見開かれていた。俺の顔に彼女と同じ痣ができた。

「力はコントロールできる。これから君にその方法を教える」
「いい」
「では君はやがて悪魔になる」
「やがて悪魔になる?」
「力はいつか君の心を乗っ取る」
「そんな」
「では言う事を聞くんだ」

俺はそういって怒りの炎を消した。顔の痣が消えた。彼女がまた目を丸くして自分の顔の痣に指をふれた。

「デビルマンとでも呼んでくれるかな」

十年も前のことなのにまるで昨日のように覚えている。

ある夜。小さなニュースが報道番組の終わりのほうで流れた。西荻窪の駅のホームで不可解な事故があったとニュースは早口で言っていた。カメラは目撃者を映していた。

「人間が膨らんでいったんです。サラリーマンだったと思う。風船みたいにあっという間に膨らんで」

そのまま目撃者は沈黙した。しばらくして吐き捨てるように言った。

「で破裂した」

NURO DEVILMAN 作:高崎卓馬 デビルマン 原作:永井豪

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